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岡崎簡易裁判所 昭和40年(ろ)7号 判決 1966年3月16日

被告人 北川英一

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実)

本件公訴事実は、

被告人北川英一は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三九年九月一一日午後一〇時三〇分頃、普通乗用自動車(愛五い一〇二六号)を運転し、岡崎市上六名町木の座五の一番地先道路を時速四〇粁で北進し、同番地先十字路交差点に差しかかり、同交差点を直進しようとしたのであるが、同交差点右側は人家で見透しが利かなかつたのであるから、このような場合、自動車運転者たる者は、左右道路から自動車等が交差点に進入することは十分予想されるので、交差点手前で一時停車するか、最徐行をして左右道路の交通の安全を確認して進行し、以て事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、これを怠り、右側道路から進行する自動車等はあるまいと軽信し、交差点手前で前照燈を切替えたのみで、右側道路の注視不十分のまま時速約二〇粁で進行した過失のため、折柄右側道路から山本幸夫運転の普通乗用自動車を右斜前方約三米に発見し、急停車の措置を執つたが及ばず、自車右前部を右自動車前部に衝突させ、その衝撃により右山本に対し、全治約二ケ月間を要する右膝部挫傷等の傷害を負わせたものである。

というに在る。

(証拠によつて認定した事実)

よつて審按すると、

一  司法警察員の実況見分調書

一  医師の山本幸夫に対する診断書

一  被告人の第一回当公判廷における供述

によれば、

被告人が、昭和三九年九月一一日午後一〇時三〇分頃、岡崎市上六名町木の座五の一番地先道路を普通乗用自動車を運転して北進中、同番地先十字路交差点において折柄東側道路を西進して来た山本幸夫運転の普通乗用自動車と衝突し、その街撃により右山本が全治約二ケ月間を要する右膝部挫傷等の傷害を負つたことを認めることができ、更に、

一  第一、二回の検証調書

一  被告人の第四回当公判廷における供述

一  被告人の検察官に対する供述調書

一  証人山本幸夫に対する尋問調書

一  証人山本幸夫の第七回当公判廷における供述

によれば、

(一)  本件衝突事故現場たる交差点は、南北に走る県道、桜井-岡崎線(以下、この道路を南北道路と略称する。)と東西に走る市道、明大寺-板屋線(以下、この道路を東西道路と略称する。)とが十字型に交差する交差点にして、信号機は設置されておらず、右両道路は共に幅員七・三米、アスフアルト舗装を為された平坦且つ直線の道路であるが、附近は家屋が建並んでいるため、いずれの道路よりも、その交差する他の道路の左右の見透しがきかないこと、そのため交差点の四ツ角はそれぞれ角切が施されてその見透しを助けていること、而して東西道路の交差点の東西にはその手前の左側路端に、公安委員会による「一時停止」を表示する規制標識が立てられていること、

(二)  被告人は前記日時、乗客を送つての帰途、タクシーである普通乗用自動車を運転し、時速約四〇粁で南北道路を北進して本件交差点にさしかかり、同交差点を直進通過しようとしたが、交差点手前においてブレーキを踏んで、漸次減速緩行にかかり且つその前照燈の燈火を「遠目-近目-遠目-近目」の如く二、三回切換操作を行い、ブレーキを踏みつつ、時速約二〇粁の速度で交差点に進入し、先づ、右(東)側道路上を見、次いで左側道路上を見、更に再び右側を見たとき、右斜前方七、八米の距離に東側道路より交差点に進入して来た山本幸夫運転の普通乗用自動車を発見し(この時の双方の位置については後に詳述する。)急停止の措置を講じたが車は空走して及ばず(制動が車輪にきく以前に)、交差点の略中心の地点において、被告人の車の右側前車輪部の辺りに山本の車の前部左側が衝突し、被告人の車は、その左斜前方なる交差点西北角の家屋に前部を突込んで停止し、山本の車は、北方に方向転換して一〇余米暴走し、北方道路東側なる板塀に右側バツクミラーを接触停止したものであること、

(三)  山本幸夫は、当夜、現場の西方にある料亭双葉別館において五、六人の者と会議をした後、午後六時頃から午後八時頃までの間に清酒約三合を飲んだ上、午後九時頃、右会議に出席した者を普通乗用自動車に乗せてこれを運転、右双葉別館を出発して岡崎市連尺町と額田郡幸田町大草のそのそれぞれの自宅に送り、残余の者をもその自宅に送るため双葉別館に引返すべく、前記時刻頃、東西道路を西進して本件交差点にさしかかつたものであるが、当時その速度は時速約四〇粁であり、前照燈は照射方向下向き(所属「近目」)にして点燈していた。而して同所が公安委員会による一時停止指定場所であることは知つていたけれども、夜間のことで、交通量も少なかつたため、危険はないものと軽信して、交差点手前において一時停止することなく、ただ、交差点の側端より約一五米手前の辺りにて、アクセルから足を離したのみで漫然惰力進行して交差点に進入した。而して、交差点に進入と同時頃、南方道路より交差点に進入する被告人の車を発見したが、何等結果回避の措置をとることもできず、前記の如く、被告人の車と衝突し、衝突すると同時頃に漸くブレーキを踏み、ハンドルを右に切る措置を講じたものであるが、右衝突時の山本の車の速度は時速約三五粁であつたこと、

をそれぞれ認めることができる。

(被告人に過失の有無についての判断)

そこで、本件衝突事故発生につき被告人に過失の有無を判断する。

(一)  第一に、被告人は時速約二〇粁で交差点に進入したのであるが、この場合被告人は交差点手前において一時停止又は最大限度の徐行を為すべきであつたか、否か、その義務なしとするも徐行義務に違反したものというべきであるか否かを考えてみる。

凡そ、交差点を直進通過しようとする車輛の運転者は、進路の前方左右、特に交差する側方道路に対する注視を充分にし、各道路からの車輛等の有無、状況を確認する義務が存在することはいうまでもなく、この安全確認をするために道路交通法(以下、単に法と略称する)は、「交通整理の行われておらず、しかも左右の見透しのきかない交差点では徐行しなければならない。」旨の義務を規定した。然し、交差点そのものの具体的状況によつて、この様な注意義務の内容が或程度強化され、或いは緩和されるのは当然であるし、又同様その交差点を通過しようとする側方道路の車輛との間の優先通行権の問題によつてもこれが変容を受けるものと解する。

よつて、これを本件交差点の具体的状況についてみると、先づ、本件交差点において東西道路は公安委員会により、一時停止すべき場所と指定されていることが問題となる。

法第四三条は、「交差点に入ろうとする車輛等は公安委員会が、道路又は交通の状況により、特に必要があると認めて指定した場所においては、一時停止しなければならない。」旨規定するが、同法条の立法趣旨が同法第一条の「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図る目的」にでたものであることは言を俟たず、従つて、本条による一時停止の指定が単なる危険防止の措置たるにとどまらず、幹線道路に対する優先通行権の保護の確保という意味をも有するものと解すべく、然らば、右指定を為された道路と交差する他の道路の車輛は、具体的にさしせまつた危険な状況が現存するか、又はこれを予見せられない以上、右指定を為された道路の車輛の適正な行動に信頼して、その注意を充分にして運転すれば足りるものというべきであつて、それが交差点である限りは徐行の義務が免除されないとしても、その徐行の程度には自ら限度があり、一般的抽象的に、必ず一時停止、何時でも停止できる様な最大限度の徐行が必要だと考えるべきではない。

そこで、被告人の本件交差点進入前、具体的にさしせまつた危険な状況の予見が可能であつたかどうか、即ち、山本の車が一時停止もせず交差点に向つて進行中であることを予見し得たものかどうかを検討してみると、第二回検証調書によれば、交差点中心(衝突地点に該当)より一〇・三五米南の南方道路略中央の地点(以下、この地点をA点と略称する。)においては交差点中心より東方一八・二二米の東方道路上(以下、これをB点と略称する。)の前照燈(近目)の光の東方道路面(交差点南東角の角切部分を透して見られる)への照射を認知し得るが、その前照燈の光線そのものはこれを認めるに由ないことを認められるので、A点進行の際の被告人に東方道路進行中の山本の車の前照燈の光の右照射が認め得られたものであるかどうかを、交差点中心の地点即ち衝突地点を基準にし、便宜、被害人の車の速度を時速二〇粁、山本の車の速度を時速三五粁として、衝突時より逆算してみると、被告人がA点進行時、山本の車の前照燈部分は未だB点に到達していないことになるので、被告人はA点進行時、山本の車の前照燈の光の道路面への照射を認めるに由なかつたものというべく、又、仮にこれを認め得たとしても、右光の路面への照射が東方道路を進行する車輛の前照燈の光によるものであることを直ちに感得し得るか否かは甚だ疑問であるから、右照射を認め得たとの事実のみを以て被告人はA点進行時に、山本の車の交差点へ向つて進行することを予見すべきであつたとすることは相当でない。而して、他に山本が警音器を吹鳴したとの事実も認められない外、被告人に山本の車の進行することを予見し得る様な状況が存在したことを認められない。結局被告人は交差点進入前山本の車の進行することを予見するに由なかつたものというべく、具体的にさしせまつた危険を予見することは不可能であつたものといわなければならない。

斯様にして、被告人は本件交差点進入に際し、一時停止又は最大限度の徐行を為すべき義務はなかつたものとするを相当と考えるが、右事由に加え、更に前示認定の、本件交差点の具体的状況等、即ち一、事故時は夜間であつたこと(即ち一般的に交通は閑散となる。)、二、東西道路も南北道路も共に幅員七・三米であること(即ち、両者の間に幅員の広狭の差はなく、従つて、仮に東西道路に一時停止の指定が為されていないとしても東西道路の車輛は南北道路の車輛と同等の徐行を為すべきである。)、三、交差点の四ツ角は角切が為されて側方道路への見透しを助けていること(第一回検証調書によれば、南方道道中央線辺りを進行する限り、交差点中心より手前一〇・三五米の地点において、東方道路中央部の交差点中心より一〇・三五米までの東方道路上の見透しが可能であることを認められる。)、四、路面は平坦にしてアスフアルト舗装を為され、当夜は雨天でなかつた(而して路面がぬれていたとの事実は認められない)こと、(従つて摩擦係数は比較的大で、停止距離は短いと認め得られる。)、五、被告人は永くタクシー運転手としての経験を積み(被告人の第四回当公判廷における供述による。)、運転車輛は普通乗用自動車で空車であつたこと(即ち、停止距離が比較的僅少とみてよい。)等の諸状況、更に被告人はその運転車輛の最高速度、時速六〇粁の三分の一に該る時速約二〇粁の速度で、なお減速しつつ交差点に進入したのであることを考慮すれば、被告人はその徐行義務に違反しなかつたものというのを相当と考えられる。

すると被告人が時速約二〇粁で交差点に進入したことにつき被告人に注意義務違反があつたとすることはできない。

(二)  次に、それでは、被告人に左右道路の安全確認に欠けるところがあつたか否かについて検討してみる。

第一回検証調書、被告人の第四回当公判廷における供述によれば、被告人は衝突地点の手前(南)四・八米の地点において山本の車を発見したことを認められるので、その時における山本の車の進行位置を、衝突地点を基準にし、便宜被告人の車の速度を時速二〇粁、山本の車の速度を時速三五粁として逆算し探究してみると、被告人は衝突時より〇・六九秒前(衝突時の被告人の位置は衝突地点の手前一米として計算)に山本の車を発見したことになり、従つて山本の車の先頭部は、衝突地点の東方六・六九米を進行中であつたこととなる。而して第一回検証調書によれば、前示A点と右発見地点との距離は、四・五五米であることを認められ、被告人の車の速度を時速二〇粁として計算すれば、この間の被告人の車の進行所要時間は〇・八三秒である。

そこで、右距離と進行所要時間、発見時の被告人の位置と山本の車の先頭部の位置等の関係を彼此勧案すれば、被告人はA点通過後なお早期に山本の車を発見することが可能であつたのではないかと考えられないでもない。然し、被告人がA点通過時に東方道路上を進行する車輛のあることを予見し得なかつたものであること先に認定のとおりであり、被告人はそれから交差点に進入しつつ左方道路上を注視し、再び右方道路上を注視した際山本の車を発見したものであること又冒頭に認定のとおりであるが、自動車運転者は交差点通過に際し、右方道路のみならず、左方道路の安全をも確認する義務のあることはいうまでもないから、この際被告人が先づ右方を見、その時点において、そこに危険の徴候のないことを確めたので、次に左方道路上への注視をしたことは至極当然であり、而してその安全であることを知つたので、そこで更に再び右方道路上へ目を転じたのであつて、しかも右がその間僅か〇・八三秒という瞬時の所作であつてみれば、被告人がそれ以前に山本の車を発見しなかつたことは無理からぬところと思われ、理論的に、なお早期に発見可能であつたことを理由に、右方道路への注視不充分であつたとして被告人に安全確認義務の懈怠ありとすることは相当でないばかりか、被告人はその速度に応じた安全確認義務を忠実に履行していたとさえいうべきであると考えられる。

されば被告人が安全確認の義務に違反したということも亦できない。

(三)  次に、被告人は山本の車を発見した後の制動措置に欠けるところがあつたのではないかとの点であるが、第二回検証調書によれば、被告人が山本の車を発見した際の被告人の車の先頭部と山本の車の進路前方左側との間の距離は僅かに二・〇五米であつたことを認められるのであるが、この短距離間では如何に迅速な制動措置をとつたとしても、到底衝突前に停止することは不可能であると考えられるので、被告人の、山本の車を発見した時には、最早や衝突の結果を回避できない状態にあつたというべきである。よつてこの点においても被告人が結果回避義務に違反したということはできない。

(四)  最後に、被告人が交差点進入前警音器を吹鳴して警告を与えていたならば、或いは本件衝突事故は避け得られたかも知れないと考えられるところ、被告人が警音器を吹鳴したとの事実は認められないので、この点において被告人に過失があつたか否かを考えてみると、法は「車輛等の運転者は法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除いては、危険を防止するため、やむを得ない場合の外警音器を鳴らしてはならない。」旨を規定し、本件交差点が警音器を吹鳴すべき場所と指定されていることを認むべき証拠はなく、前示認定の如く、被告人の交差点進入時には何等具体的な危険を予見され得なかつたのであるから、被告人は警音器を吹鳴する義務のなかつたことは明らかである上に、被告人は警音器吹鳴に代る警告措置として、前照燈の燈火切換措置を講じているので交差点に進入せんとする運転者としては、充分の注意をしてその為すべき措置をとつたものとみることができないでもないから、被告人が警音器を吹鳴しなかつたことにつき注意義務に違反したということもできない。

(結び)

以上検討のとおり、その諸点いずれも被告人に注意義務違反ありとは認め難く、而して他に被告人の過失を認むべき証拠はないので、結局本件衝突事故の発生について被告人に過失はなかつたものというの外ない。

自動車を運転する者は、相共に交通上の危険を分担すべきであつて、運転者たる者このことを念頭におき、常に安全運転をしなければならないものと思うのであるが、それにもかかわらず山本幸夫は飲酒の上、一時停止の指定に従わないばかりか、可成りの高速度で、しかも左右の安全確認もせず、恰も飛込むが如く交差点に進入するという無謀極りない運転をしたのであつて、本件衝突事故は、一に山本のこの無謀な運転の結果惹起されたもので、その責任は挙げて山本にあるものというべきであると考える。

よつて、本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条に則り無罪の言渡しを為すべきものである。

(裁判官 杉浦幸平)

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